結局誰の役にも立てない仕事ばかり。資格や学歴の嫌なところ

資格は社会で大いに役に立つ。

自分の力の証明になる。

例えば資格の保有を明らかにすることで、会社に対して簡単に自分の力を証明出来る。

就職にも役に立つ。

だが資格は直接的には、何の役にも立たない。

学歴も同様である。

直接誰かの役に立てないという恐さ

資格や学歴は大抵会社という組織の役に立っている。

さらに言えば資格保有者が会社に入るための役に立っている。

会社は一つの仕事をより細分化・専門化して分担させることで効率を高めている。

いわゆる分業である。

ひとつの仕事を分解し、より簡単な作業を繰り返させるのだ。

専門知識・専門技術を証明するモノ(資格)はこのように分業されている状態で最も効果を持つ。

しかし作業を分担すればするほど、自分の仕事が誰の、何の役に立っているのか分からなくなる。

その仕事の完成形が見えないためである。

例を挙げる。

一人でレストランを切り盛りする。

材料の調達管理から調理、接客まで全てを一人でこなす。

これでは30席もある大きな店舗はとても回せない。

せいぜい5席~10席である。

だがこれは楽しい。

色んな仕事があって飽きず、何よりも来店した客の役に立っていると実感できる。

自分の作ったもので喜ぶ客の顔が見れる。

レストランを五人で経営する。

一人目は材料の仕入れ管理、及び経理担当。(要するに事務)

二人目は調理担当。

三人目は接客担当。

四人目は清掃担当。

そして五人目はこの人たちを繋ぎとめる役、店長である。

これなら30席の店くらい回せる。

しかしこの五人の中で客の喜ぶ顔が見れるのは接客担当のみである。

事務担当者や清掃担当者らは、恐らく誰からも感謝はされない。

そして接客担当の者は、客から「美味しい」と言われても多分嬉しくない。

自分で作ったわけではないからだ。

この店の従業員たちは、働いても金以外の何も得られない。

もし経理の資格を持っているなら、この店の経理担当として雇ってもらえるかもしれない。

だが直接的に客の役に立つことは出来ず、直接感謝してもらえることもない。

経理関連の単純な作業の繰り返しをひたすら続けて、金しかもらえない。

社会の発達によって「直接的には誰の役にも立たない仕事」が増えてそれにばかり注目が集まるが、その仕事はいくらやっても退屈で充実感が無い。

しかしそのような仕事に就くために、誰もが必死に学歴や資格を獲得しようとしている。

誰もが人の役に立ちたい。

仕事に対する正当な対価として金は前提条件となる。

しかしそれだけでは足りない。

時間を割いても金しかもらえない仕事は、長い時間をかけて身を滅ぼす。

仕事において(自己)満足は金と同等に重要である。

人間は、もし金さえ(別の口から調達するなりして)なんとかなるのなら、あとは自分がその仕事で満足さえ得られればそれでよいものだ。(金がなんとかならないから、前提条件として金が仕事の対価となるのだが)

これは「金持ちの慈善活動」理論とでも言おう。

これについて逆から考えてみる。

現代日本のあらゆる職場のように、働いて金は得られるが、それ以外に得るものが無ければどうなる。

働いても働いても自己満足出来なければどうなる。

死ぬだけである。

今の日本人の多くがそうであるように。

「毎日つまらない」「仕事やめたい」「生きてる意味が分からない」と言い続けながらゆっくりと腐っていく。

どれほど社会が発達しても、世の中の仕組みが複雑になっても、今も昔も原始的な部分は全く変わらない。

人間の感情である。

誰もが感謝されたいと思っている。

誰かの役に立ちたいと思っている。

それを差し置いて仕事を続けていくことは不可能である。

今一度、自分の仕事について考えるべきである。

スポンサーリンク







スポンサーリンク