「働きたくない」というより「就職したくない」。会社勤め出来るのは才能だと思う

就職は懲役の始まりだ。

懲役で済めばいい、下手すれば拷問にさえなる。

だが就職して平然と生きていく人たちもいる。

これはもう、才能に他ならない。

しかしそれが世の中のオーソドックスな生き方だというから余計に驚く。

僕はその生き方にまるで適性がない。

その生活をするよりは死ぬ方が好きだ。

拷問に遭った者が「もう殺してくれ」と叫ぶのと丁度同じである。

合わないことを無理くり続けるほど苦しいことはない。

しかし合わないなら合わないなりに、自分に合う他の生き方を探し当てねばならない。

自分に合わない生活を無理して続けるのと、自分に合う生活を見つけて手に入れるのでは、どちらがお好みだろうか。

「社会不適合」というより「会社不適合」

中学くらいから「自分は就職しないだろう」と考えていたら、本当にその通りになった。

就職すれば、仕事は常に人から与えられ、毎日やることは同じで、それを何年も続けていくことになる。

いやこれは無理である。

そんな生活では生きる意味が分からなくなって鬱病を発症する、自分がそういうタイプの人間だということくらい知っている。

毎日同じことを繰り返すせいで、生きる意味の分からなくなる人は決して少なくない。

ある時テレビのニュースが放火事件の犯人について報道した。

社会人だった犯人の供述はこうだ。

「生きている意味が分からなくなって自宅に火を放った。」

就職していたら、これは僕の末路だったろう。

世の中には一定数の、会社勤めに適性が無い人間がいることを理解すべきである。

働くのは好きだ。

働くことには「収入を得る」と「人の役に立つ」と云う二つの側面がある。

収入を得れば生計が立てられる。

人の役に立てるのは光栄だ。

以上については、ほぼ全ての人が僕と同意見だろう。

であるから、僕は働きたい。

だが就職は御免である。

社会に出るのはいい。

だが会社に出るのは御免こうむる。

これは全くもって「会社不適合」だ。

しかし会社だけがこの世の仕事とは限らない。

自営業、今風で言えばフリーランスと云う仕事もある。

仕事を自分で取って来る必要がある代わり、一切が自由だ。

変化にも富んでいて、大変刺激的である。

かく言う僕も旅をしながら文章を書くことで、些かの収入を得ている。

決して容易なことではないが、僕にとって「会社に行く」よりは簡単だった。

「自分なりの道を行く」か「会社で耐える」か、どちらの方が楽かは、人による。

この二つを天秤にかけ、より楽な道へ進めばいいと思う。

楽をするのは悪ではない。

楽をするための努力は、むしろ正義だ。

やりたいことをやる=失敗が許されない、ではない。

「やりたいことをやる」という表現には、なんとなく「失敗は許されない」に近い意味合いが含まれて使われることが多い。

親も教師も、皆一様にそういう言い方をする。

それは間違いであると明言しておく。

そのような完璧主義では何も出来ない。

初めのうちは何事も上手くいかないから、小さいことに挑戦して、小さく失敗するのが基本だ。

だが挑戦しない人間は、そもそもこの基本をわきまえていない。

自分のやりたいことをやるためには、全てを完璧に用意してから始める必要があり、失敗は絶対に許されず、必ず成功しなければならない、というのが世間の言うことだ。

これは誤りである。

正解はこうだ。

とりあえず始めてみて失敗してもいいし、その後何度失敗してもいいし、最後に成功すればそれでよい。

これが懲役生活から抜け出すために必要な考え方だ。

この道は恐らく苦労尽くしになる。

この道を歩く人は少ないから、舗装は無く、道も分かりにくい。

大きな石がゴロゴロと転がっている。

それでもなおこの道は、会社に行くよりはるかに気楽で面白くて、魅力の感じられる道であると思う。

なぜなら、僕には会社勤めの才能が無かったからだ。

今とは違った道で頑張れるなら、あなたも我慢する必要など無いのである。

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