天才の正体を暴いたら凡人でも努力し続けるべき理由が見つかった。

天才は、なぜ天才なんだろう。

と昔から考えていた。

天才を観察し続け、ようやく理由が分かった。

「天才だから天才」ではない

天才とは、先天的に才能がある人間のことである。

先天的に才能のある人間に、理由も何もありはしないだろう、と言う人がいるかもしれない。

筆者も以前は「天才は天才だ」と考えていた。

ただそれだけだと思っていた。

だがそれは違った。

天才には、天才たる理由があった。

天才を理解できれば、僕のような凡人でも、自分の新たな才能を発見することが出来るかもしれない。

天才と呼ばれる人には恐らく2種類ある。

・癖がたまたま理想形タイプ

・圧倒的学習能力タイプ

それぞれ解説する。

「癖がたまたま理想形」タイプ

僕はピアノや書道をやる。

ピアノにも書道にも理想形がある。

これらに限ったことではない。

バイオリンやフルートも、また野球やバスケットボールにも、理想形がある。

野球であれば「理想的な投球フォーム、バッティングフォーム」

書道なら「理想的な筆の持ち方、運び方」

ピアノであれば「理想的な運指、打鍵の強弱」

そしてどんな物事にも共通して、人それぞれの癖がある。

癖というのは、他人からの一切の指導、矯正の混じっていない、個人の自然体での動きの傾向である。

人それぞれに身体の動かし方の癖、特徴がある。

人からものを教わる時には大抵、癖について指導され、指導者から矯正が入る。

個人の癖を、より理想形に近付けるべく矯正するのが、指導の段階には欠かせないのだ。

ここまでは、凡人の話である。

では、上記の「個人の癖」というのがそのまま「理想形」に近い形だったらどうか。

これが天才である。

野球の天才ならば、癖がそのまま理想的な投球フォーム、バッティングフォームである。

書道の天才なら、筆の運びの癖が、そのまま理想的な筆の運びである。

ピアノの天才なら、運指の癖が、そのまま理想的な運指となっている。

天才とは「偶然にも生まれついて理想形を持っている人」のことだったのである。

逆に言えば、天才も凡人と同じく、生まれついて癖を持っている人間である。

「圧倒的学習能力」タイプ

天才のもう一つに「圧倒的な学習能力を備えている人間」がある。

どんなことでも効率よく学ぶ・身に付ける術を知っている人は、天才と呼ばれることが多い。

どんなことでも猛スピードで上達するからである。

凡人から見れば彼らは「初めから何でも出来る天才」と見分けがつかない。

ゆえに彼らは天才として見られる。

だが彼らが天才的なのは「学ぶこと」この一点に関してである。

学ぶという能力を活かして他のあらゆることを身に付けていく。

そこには努力がある。

であるから、より強いのはこちらのタイプである。

学ぶ能力があり、しかも努力できる。

この人は何をやっても上手くいくだろう。

天才に、追いつく。

世間から天才と言われ期待されていた人間が、突然落ちぶれることがある。

これは努力を欠いた天才の末路である。

いくら基礎が出来上がっていようが、もしくは基礎以上のモノを持っていようが、怠ければ努力し続ける凡人に追い越される。

才能は無限ではなかったのだ。

だが努力は無限である。

であれば、僕のような凡人のやるべきことは決まっている。

・多くの物事に挑戦して、自分が天才になれそうな分野を見つけ出す

・ダラダラと走っている天才を追い抜くべく、猛烈に努力し続ける

このどちらかしかない。

後者の方が好みだ、こちらの方が確実な方法と言える。

自分が天才になれる分野が何なのか、誰にも分からない。

生きているうちにそんなものに出会えるかどうかさえ、定かではない。

天才になる必要はない。

凡人でいい。

怠けている天才はたくさんいる、そいつらを潰しに行くのがいい。

凡人である筆者にとって、これは大変嬉しい発見だった。

努力し続ける理由が見つかった。

「自分は天才じゃないから」「自分には才能が無いから」などと諦めるのは早計である。

どんなことでも、自分の好きなものをやり続けていればそれでよい。

努力次第で勝ち進める。

才能が平等でなくとも、勝ち目は誰にでも平等に分配されていたのだ。

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