辞職願を提出したところ「君が辞めたらみんなが困る」と言われて、受け取り拒否された。
びりびりと目の前で破かれた。
そんな話を耳にする。
これには、上司の無責任さと無能さがよく現れている。
そんな悪辣な職場から離れるためには、ある種の無責任さが必要になる。
なぜなら、責任感は、利用されるからだ。
責任感は、利用される。
部下の辞職を、ワガママ、無責任だと批判する上司がいるらしい。
では、本当にワガママで無責任なのは誰なのか、考えてみよう。
上司と云うのはマネージャーのことだが、マネージャーの仕事の中には、社員を正しく管理するという大切な仕事がある。
社員の正しい管理とは、「早くやれ!」「残業しろ」「給料減らすぞ」などと無闇に尻を叩いて強制労働させることではない。
勤務時間や給料などを適切に調整して社員のやる気を削がないよう工夫することである。
しかし残念ながら、そういう工夫の出来ない無能なマネージャーが多く、彼らは部下を脅してばかりいる。
あなたが「仕事を辞めたい」と考えるのは、マネージャーが「社員の管理」という大切な仕事を怠っているからだ。
自分のやりたいことを仕事にしている、という人でもない限り、仕事のモチベーションは自分では管理できない。
マネージャーが外的要因を調節することでしか、あなたは仕事を続けられないだろう。
にも拘らず、あなたのマネージャーは、外的要因(給料や休暇など)の調節もせずに「君が辞めたらみんなが困る」などと言っている。
さあ、責任の所在はどこにあるだろう。
これが職務怠慢なマネージャーの責任であることは自明の理ではないか。
しかしあなたのような責任感の強い人間は「義務を果たしてから権利を主張しろ」というような趣旨の言葉で容易く丸め込まれてしまう。
これはマネージャーの、部下への責任転嫁に他ならないのだ。
会社には義務など無く、権利があるのみだ。
誰もが「働く権利」によってのみ働いていることを思い出さねばならない。
社員は奴隷ではない。
辞めたい時に辞めれるのは至極当然のことである。
しかし余計な責任感を持ち始めると、その限りでなくなる。
上司はその責任感を利用できてしまう。
辞めたいのに辞められない人の多くは、「ワガママを言うな、みんなが困る」という責任転嫁、もしくは「これくらい出来ないと他に行ってもどうにもならない」のような脅し文句によって、辞職できない状況に追い詰められている。
責任感が強いことは、誇れる。
しかし、それが不必要に自分を追い詰める、という欠点にもなることを忘れてはならない。
ことにブラック企業と呼ばれる会社では、責任感の利用は頻発する。
本来なら仕事を辞めるのに権利もクソもない、ということに気付こう。
バックレてしまえば、いつでも誰でも辞められるという事実を知ろう。
辞めたいのに辞められなくなる責任感の強い人たちは、良い人だし、信頼されている人でもある。
それを利用するマネージャーは、その責任感が利用できるほど強い責任感だと分かっていて、利用し続けている。
人の優しさの上にあぐらをかき、ワガママにも部下を振り回している。
世の中は一般的に、良い人が損して、無責任な人が得するように出来ている。
どうしても辞められない人と、平気でバックレる人の違い
この両者の違いは紙一重、僅かな感覚の違いでしかない。
責任感の強い人はまず、適度に無責任であることは正義だと心得るべきだ。
表現を変えれば、無責任というよりは、立場をわきまえていると言うべきかもしれない。
何というか、自分一人が辞めたからといって、皆が困るわけがないのである。
自分一人の存在は、それほど影響力のあるものではないのだ。
自分一人の担っている役割は、それほどまでに大きいはずがないのだ。
自分はかなり、ちっぽけな存在なのだ。
だから、自分が考える「辞めたらみんなが困る」は自惚れだし、マネージャーの言う「君が辞めたら困る」は、過大評価なのである。
彼らの無責任さは、見方によっては、「自分がいなくても大丈夫」という謙虚さに通ずるものさえある。
周囲に気を遣わず自分の思い通りに動いたところで、決してバチは当たらないし、むしろその方が何事も上手くいく。
今までの自分がどれほど責任感が強くて立派であったか、そして、どれだけ利用されてきたか、振り返るとよい。
そろそろ、自分を解放してもいい頃だ。
人間はもっと身勝手でいい。
ワガママと言われるくらいでちょうどいい。
もう少しだけ、自分勝手に生きよう。