大学やめて旅に出た結果。無計画無鉄砲、行き当たりばったり珍道中

大学をやめた。

3月末日考えも無しに実家を出てから東京で一人暮らしを始めた。

4月末日にその家を引き払ってからは浅草のゲストハウスに身を寄せて、5月のゴールデンウィークが終わるまで大人しくしていた。

たった一ヶ月の一人暮らしであるがあまり孤独で話し相手も無ければやることも無く、こんな生活は一年どころか3ヶ月だって続けられないとすっかり懲りてしまった。

ゴールデンウィークが明けると当分祝日が無いので世間は引き締まる。

連休中の浅草は外国人で溢れて、僕のベッドの上段にも隣のベッドにも外国人が寝ていた。

英語もろくに喋れないが他にやることもないので「Hey, what’s up」と手当たり次第に話し掛けた。

英語を話せない日本人の相手をするのは大変だったろう。

ただそうやって話しかけたうちの一人とは未だに交流がある。

連休後の日本列島は静まり返っていて実に気分が良い。

旅を始めるには最高の条件が整った。

成田空港で一夜を明かしてから、無言で関東を後にした。

旅立ち

機内から出るとまだ少し肌寒く、厚手のマントを羽織ってきたのは正解だと思った。

5月の新千歳、まだまだ雪が解けたばかりのこの寒さは関東人の身に沁みる。

空港を出てから札幌行きに乗車、1時間後には札幌の町を歩き始めたが、すぐに駅前の大型バスターミナルから旭川行きに乗り込んだ。

旭川の駅前まで高速で3時間半である。

知らない町を歩く時は、いつでもドキドキする。

その町に何度も訪れてだんだん身体が町に馴染んでくると今度は、何とも言えない嬉しい気持ちになったりする。

旭川の町もこの時にはえらく新鮮に感じたものだが、後に通い詰めることになるとは全く予期していなかった。

旭川駅の駅舎は町の大きさに不釣り合いに大きい。

立派な駅舎の中は大きく吹き抜けていて人もまばら、レールの本数も少なく、驚くべきことに交通系ICカードが使えない。

しかしそれも旅の風情と思い540円の切符を買って美瑛行きを待つ。

本編

せっかく大学をやめたので、東京から8時間かけて憧れの町「美瑛」に来た。

そこに何があってどういう人がいて何が起こるのか分からないが、とりあえず来た。

「とりあえずやる」というのは恐らく、人生の最重要事項である。

目星をつけておいた宿はヤバかった。

前々からヤバいだろうとの予想はしていたが、実際にこの目で見てみると感動するヤバさである。

まるで秘密基地だ。

これは大分後に知ったことであるが、ここは「美瑛のスラム街」などと呼ばれているらしい。

それを聞いた時にはなるほど見事な描写だと感心した。

そういう風情の宿である。

ヤバい場所に居る人間というのは相応にヤバいもので、日本一周していて当たり前という感覚の人間ばかりがのさばっている。

なお一泊500円である。

ヤバいわけだ。

そこでどういう人たちに出会ったのか書き連ねれば甚だ際限がないので、ここでは割愛とする。

まず全員ヤバい人間だったと考えてもらえれば十中八九正解である。

僕は「バイクというのは自分には全く関係のない世界で動いているモノで、自分は生涯それに関わりを持つことはないだろう」と本気で考えていた。

カッコいいと思っておらず乗りたいとも思っておらず、免許も持っておらずそもそも興味も無かった。

自分には全く関係の無いことだと認識していた。

ところで、美瑛で最初に出会ったのは30代前半のバイク乗りの優しい男で、出会った翌日には彼が自分で買ってきたアスパラとかイカなんかを自前のキャンプ道具で調理しては、僕に食わせてくれた。(彼を以下「I」とする)

Iと出会ってから2日目だか3日目、隣町の富良野にちょっとした知り合いの画家の先生がいるので挨拶に行くと話をしたらIは「実は俺も油絵が趣味なんだ」と言って、描いた絵を見たら本当に達者だった。

するとIが「その画家さんに興味がある、一緒に行かないか。良ければ後ろに乗りな」と誘ったので、その日は生憎の土砂降りで時間を持て余したので、ありがたく二人乗りで30キロほど先にある先生のアトリエを目指すことにした。

適当に隙を見て出たが結局随分降られた。

しかしずぶ濡れは別段気にもならなかった。

それどころか走行中のバイクの振動やスピード、体で風を切る快感が忘れられず、宿に帰ってからも「バイク乗りたい」と壊れたように連呼していた。

Iは数日後に出発したが、僕は変わらずに自転車日本一周の者などとキャッチボールをし、一人で自転車にまたがっては遠くの丘を散歩したりなどと呑気に暮らしていた。

しかし自分はやはり本当にはバイクに乗りたいような気がしてきて仕方がないので、山形の合宿免許に応募して荷物をまとめて「やっぱりバイクに乗る」と宿の者達には伝えて、札幌でスープカレーを食ってから東京経由で山形県へ行き一週間で卒検合格して関東で免許更新してから再び札幌でスープカレーを食べた後に買うバイクに悩みながら美瑛へと帰ってきた。

その頃には旭川の町も慣れたものである。

札幌スープカレー「GARAKU」

二度目の美瑛に来て数日、数多のライダー達の助言を受けバイクの知識を深めつつ相変わらず遊んでいたら、先月バイクの後ろに乗せてくれたIが再び美瑛に来ていたようで、食事中に別のテーブルにいるのを見つけた。

一度自走で東京に帰ったが今度は彼女を後ろにのっけてまた自走してきたとか言うので、この人も好きだなと思った。

とにかく「あなたのおかげでバイクの良さが分かってつい先日山形で免許を取ってきた。ありがとう」という旨のことを大まかに伝えてから、バイクの話で大いに盛り上がった。

宿の主人(以下「N氏」)もまた優しい人で僕が免許を取る前には乗り方のコツなどを教えてくれ、免許を取ってくるといよいよ「じゃあ旭川のバイク屋でも見に行くか」と僕を誘った。

そのうえ初心者の僕にカブを貸したのでN氏と二人で初めてのツーリングに出掛けた。

旭川ではバイクを見るなり寿司を食うなりした。

旭川回転寿司「ちょいす」

「最近働いていない」と感じる頃になると、少しは働く意欲が湧いてくるものだ。

バイクを買うためにもいい加減働こうということに決まり、旭岳の向こう側にある温泉街に仕事を見つけた。

二ヶ月ほどやったところであまりこき使うに頭にきたもんで、最後には「やめる」の一点張りでスパッと辞めてやった。

実はその間に何度かこっそりと旭川のバイク屋に足を運んで乗るバイクを決めておいて、しかも契約まで済ませておいたことは皆には内緒にしておいてもらいたい。

「バイクはバカにしか乗れない」とはよく言ったもんで、そうでなくとも馬鹿だった僕も、バイクで走り始めるとなおのことバカが突き抜けたようでかえって気分が良かった。

8月の下旬、暴飲暴食を続けていたハワイを出て日本に帰国するや否や、まだ終わらない北海道の最後の夏を見届けるべく2017年4度目の北海道へと乗り込んだ。

2ヶ月前に契約しておいたバイクを旭川で迎えてから愛用のマントを羽織ったままに跨り、美瑛へと走り出した。

教習所以来3ヶ月ぶりのバイクに珍しく一抹の不安を感じたが旭川の町を走り出てみると、飛び立っていく飛行機を横目に突っ走る真っ直ぐな道を美瑛方面へと走り抜けれる。

そこで左右から囲む一面の花畑を見ては泣きそうになりながら「バイクに乗って良かった」など呟きつつ憧れだった町を目指して必死に走った。

まだヘッドライトに虫もつかないほどの亀の歩みほどの走りだが、陽が沈むより早く町には着いた。

すぐに挨拶して同時にバイクのキーを見せびらかして乗り始めたことを知らせると、N氏は「本当に乗ったか」と驚いた。

宿の広い軒先には晩夏の北海道を駈けるバイクがまだまだ雑然と並んでおり、ライダーたちは新しく入ってくるバイクがある度にそこに集まっては新入りにバイクのことや旅のことを尋ねる。

ひとたびライダーの仲間入りを果たしてみると、バイク乗りは皆不思議な縁で繋がれていることが分かった。

初対面だろうとお互いバイクに乗っている、バイク乗りにはたったそれだけのことが十分過ぎる理由で、一緒に飯を食ったりする。

みんなで山の温泉や町の銭湯に行って、一緒にツーリングに出掛けたりゲームもかなりやった。

一緒に働いて稼ぐことすらあった。

バイク乗りは、昨日の他人は今日の友である。

自分が学生だった頃には果たしてこんな世界の存在を想像出来たかと考えてみると、3年間の薄弱な学生生活に比べて、学生をやめてからたった半年のこの気ままで風来で濃厚な生活の凄まじい重みと影響力にはただただひれ伏すことになる。

例のヤバい宿「蜂の宿」と桃鉄

どこまでいってもどの界隈にも、上には上があるのがこの世の常だ。

一日で何百キロ走った、などというバイク乗りの自慢話は実際、事実でさえあれば恐ろしく凄いことというか最早どうにかしていると言うべき酔狂な世界で、バイクに跨ってからまだ半年の僕には一日で200キロが精一杯である。

一日500キロなどと聞いた日には飛び上がって驚く。

北海道最終日、200キロほどの距離をようやく走り切って苫小牧のフェリーターミナルへと到達した。

大洗往きフェリーの出港時刻までにはまだ幾分か時間があったので待合室のガラス張りから湾に浮かぶ船を眺めていると、眼下の乗船待ち駐車場に見覚えのある紅いバイクの入ってくるのが見えた。

慌てて駆け下りていくと、数日前に宿で「あれ、同じ日時の大洗往きフェリーじゃないか」と話し込んだライダー(以下「T」)がこちらに歩いてきたので、湾を臨むカフェテリアに連れ込んで乗船時刻を待って、その後一緒に船に乗り込んだ。

船上は電波も届かずやることも無いので、日が暮れてもなお真っ黒な海を眺めながらこの夏の間の出来事や出会った人たちのことを思い返した。

船で過ごす一日も案外悪くないと、綺麗な朝風呂に浸かりながらくつろいでいるとあっという間に朝食の時間になり、その後は青い海を眺めているうちに船はあっという間に大洗の港に着けてしまった。

昼下がりの大洗港にTと二人バイクで走り出すと、やけにこちらに向けて手を振りながら近付いてくるのがいたので不思議に思っていたら、数日前に北海道で別れたライダー「まつ」と「委員長」だった。

冒頭の「上には上がいる」とは彼らのことで、Tは「まつ」「委員長」の二人と別れた直後に僕とフェリーに乗船し、一方の彼ら二人はTと道内で別れた直後から津軽海峡を除く全行程をバイク自走でこのフェリーと陸路から競争してきたとのことだった。

競争は彼らの勝ちだ。

改めて二人の猛者「まつ」と「委員長」にはここで敬意を表するとともにその心意気に感謝したい。

彼らは徹夜で18時間ほどかけて走りに走り続けて、北海道からこの大洗の港までおよそ1000キロの道のりを海路よりも速く駆け抜けてきたのだ。

その後二人を連れてアウトレット大洗のサザコーヒーで茶とケーキを愉しんだのは言うまでもない。

大洗アウトレット「サザコーヒー」

旅は人生の縮図だ。

人生が人から多くのものを奪いまた多くのものを与えるのと同じように、旅は旅人から多くのものを奪い、同時に多くのものを与える。

今回の旅で一体何を奪われたのかはよく分からない(多分それは迷いとか未練のようなものかもしれない)が与えられたものは明確である、恥ずかしいのでそれはここでは特に書かないことにするのだが。

関東に着いた後は少しの間大洗に留まり、北海道で出会ったライダー達の下船を迎える側になった。

大学をやめて半年ほど経ってからようやく認識したが、これが自分の本当に望んでいた憧れの生活であり、今までずっと叶えられずにいたモノでもあった。

たとえどんな決断でも、下した直後にはその決断の本当の良し悪しは決まっていないと分かった。

むしろ決断後の行動次第では、「良し」「悪し」のどちらにでも転げてしまうものだと改めて実感した。

そして今は、そんな旅の季節が再び近付きつつあることに、全くもって期待で胸が膨らむ一方である。

(追記:この記事を書いた後、バイクで日本一周を始めた。)

北海道の沈没宿で四天王を決定した。

【居候しながら日本一周】岩手久慈~青森八戸の絶景道を行く。

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