無知で、バカで、非常識な方が上手くいく。型にはまらない人間になるということ

とある常識人にこんな質問をした。

「あなたはなぜ、今の会社で10年も働いているのですか?」

彼の答えはこうだ。

「会社に入って働くのは当たり前ですよね?」

質問に質問を返してくるんじゃないよ。

彼はその場所で働いている理由さえ分かっていないようだ。

とある非常識な旅人に質問した。

「あなたはなぜ、会社を辞めてまで旅しているのです?」

彼は答えた。

「旅をするのが、僕の夢だったからですよ。何だかわくわくするんです」

なるほど。

以上のことから、常識人でも非常識人でも、いずれにせよロクでもないと云うことがお分かりいただける。

しかし同じロクでなしなら、面白い方がよい、後者のように。

「常識的」とは、「汎用的な知識を幅広く持っていてそれを実践できること」であると筆者は考える。

ここで「知識」について掘り下げる。

知識はあればあるほどよいというのが通説だが、これは極めてまずい思い込みである。

以下に理由を2つ挙げる。

知識は、結びつく。

紅茶に精通している人と、紅茶の知識に乏しい人が、同じ紅茶を飲んだ。

紅茶通はそれを飲んだ時「特有のマスカテルフレーバーにパンジェンシーを感じる、これはダージリンだな」と自分の知識にすぐ結びついた。

素人は残念ながらダージリンを知らなかったが、よく味わった結果「この紅茶には甘くてフルーティーな香りがあり、すっきりとした渋味で飲みやすい」と評価した。

この二人を批評すると、前者は物知りだが知識を取り出すだけの平凡で退屈な人間であり、後者は無知だが表現者として相応しい人間と見える。

目の前にある事実や経験は、脳内で、関連する知識に結び付く。

それは同時に、知識に縛られ、想像や表現を妨げられるということである。

ある二人の男が落語家を夢見て、有名な落語家に弟子入りした。

一人は大学院まで出た至極優秀な人物で、もう片方は中学を卒業して以来好き放題に生きている馬鹿者だった。

彼らが師匠の後ろについて公園を歩いた時、馬鹿者の方が一輪の赤い花を見つけて「わあ、とてもキレイで可愛らしいお花ですね!」と言ってしゃがみ込んだ。

秀才の方はその様子を横目に見て「ああ、それはアネモネと言うんだよ。花言葉はたしか『はかない夢』だったかな」と説明した。

この時秀才は、自分が表現者に適していないことに気付き、自らこの道を断った。

なお、これは例え話でなく実話である。

知識を持ち、それが経験に結びついてしまうということは、言い換えれば、型にはまりやすいということだ。

斬新な発想も「知識との結びつき」から起こるものだが、既存の、ありふれた結びつきを解消せねば、驚くような結びつきは生まれない。

既存の結びつきを「当たり前のもの」として片付けず、一度ほどいて考え直す必要がある。

その時、改めて無知になることを迫られる。

知識は、場所を取る。

能率的な人間ほど、脳の容量には限りがあることを知っている。

かの名探偵シャーロックホームズは、太陽系の存在を知らなかった。

その存在を友人ワトソンから聞いた時、「知ってしまったから、忘れねば」とさえ言った。

「脳は屋根裏部屋のようなもので、好きな物を置いておくべきだ。だがその壁は決して伸縮自在ではなく、広さに限りがある。愚か者は何でもかんでも脳の中に仕舞い込んでおくから、重要なものを入れるスペースが無くなったり、不要なものに埋もれさせて紛失してしまう。だから『脳の中に何を仕舞うのか』と云うことに、最も注意深くなるべきなのだ」

彼の推理には太陽系のことや政治学、文学などはまるで役に立たない。

ゆえに名探偵ホームズはそれらに疎い。

非常識にも限度はある。

人に迷惑をかけるほどの無知、非常識は許されない。

しかし許容範囲内での無知は、むしろ、無駄の無い生き方と言えよう。

「知識はそれ自体が力」と云う16世紀の哲学者フランシス・ベーコンの言葉がある。

これは大いに間違いだ。

というか、50年前までは正しかったが、現代においては通用しない考え方となった。

これは、今あなたが手に持って見つめている、そのスマートフォンのせいだ。

もしくは、あなたの目の前に置いてあるパーソナルコンピュータのせいでもある。

ついこの間まで「頭は、知識を詰め込むための倉庫」という考え方に間違いはなかった。

だがスマホやパソコンから容易に接続できるインターネットは、今や脳に代わって、半無限の容量を持つ史上最高に優秀な倉庫として活躍している。

あなたはその気になれば、片手の簡単な操作でその倉庫にアクセスでき、インプットもアウトプットも自由自在で、しかも脳のように知識を紛失することがない。

脳を倉庫として使う以上、人間はインターネットに勝てない。

現代において脳が倉庫でないなら、何なのか。

その答えが、お茶の水女子大学名誉教授「外山滋比古(とやましげひこ)」の著した「思考の整理学」という100万部を超える大ベストセラーの中に記された。

人間の頭はこれからも、一部は倉庫の役をはたし続けなくてはならないだろうが、それだけではいけない。新しいことを考え出す工場でなくてはならない。

(中略)

工場にやたらなものが入っていては作業能率が悪い。よけいなものは処分して広々としたスペースをとる必要がある。

本書ではこの直後「如何にして余計なモノ――創造の邪魔になる余計な知識――を忘れるか」と云う興味深い話題が持ち出されることになる。

能率的な人物は以上のように、知識を排除することに注力する。

無知になることで思考を推進し、創造的になろうとする。

前項で述べた通り、知識は結びついてしまうから、創造の邪魔になることが多々ある。

自由な発想を持って創造的に振舞ううえで、既存のありふれた知識は、「結びつく」という点、「場所を取る」という点の双方において好ましくない。

まとめ。

知識を蓄えた常識人は、あらゆる体験・物事を知識に結び付け、「知っている通りだ」と思ってそれ以上の発想に至らない。

全てが「当たり前」の一言に帰結し、考える機会に乏しいのである。

しかし我々が無知で、非常識でいられるなら、「当たり前」とはならない。

自分の頭で考え、自分なりの発想を生み出すことが出来る。

その時、非常識でいることの価値が生ずる。

非常識な人間は「知ること」に甘んじず、「考えること」に必死でいられる。

最後に、アップル創業者スティーブ・ジョブズの言葉を示しておく。

Stay hungry, stay foolish. 「貪欲なバカであり続けろ」

バカ者でいられることに誇りを持て。

無知を手に取り、非常識のその先へ進むのだ。

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