バイクは、本当に危険である。死ぬかもしれない。

バイクで東京を走っていた。

よく分かった。

バイクは危険である。

スピードを出し過ぎた。

急ブレーキで前輪をロックさせて転んでから引きずった。

プロテクターも着けてなかった、安全意識が低すぎる。

結果両膝を大きく擦って、大いに痛かった。

だが問題は痛いとかそんな所にはない。

一歩間違えば自分が死んだかもしれず、もう一歩間違えば人を轢いたかもしれないことが大いに問題である。

過失で自分が死ぬならまだいい、人を轢いてはそれこそ事である。

自分の跨ったものはそういうものだと、ようやく理解した。

自分には大き過ぎる力であると、理解すべき。

技術の発達とは素晴らしいことである。

生活が着実に豊かになっていく。

だがその裏に脅威が潜む。

典型が交通事故である。

バイクのおかげで僕はどこにでも行けるが、このバイクのスピードというものは到底僕の手に負えない。

人間の身体は、まず自動車のスピードに耐えられる設計になっていない。

生身の人間が時速40キロで固体にぶつかればまず死ぬ。

鹿は自力でその速度を出せるから40キロくらい何でもない、車にぶつかってもすましたものだ。

だが人間というのは、スピードに無縁の種である。

大き過ぎる力を制御できる人間は極めて稀である。

通常の器の人間には到底扱えない。

常人はまず科学技術による力を自分の力と取り違える。

バイクが速いという事実を見損ない、自分が速いと考える。

これがバイクの事故原因の大半である。

本来その強大な力を扱える器ではないのだが、金を積めば手に入るから仕方がない。

やがてその力に振り回されるばかりだ。

科学技術に限らず、発達した社会における権力でもしばしば同じことが起こるが、ここでは無関係なので詳しくは書かない。

自分の技量を知り、手にした力を理解する。

結論を出さねばなるまい。

自分の現在の技量をよく理解し、それに見合った「現在の自分が上手に扱える範囲内の力」を手に取ることである。

教習所を卒業したので時速80キロを扱える、これは大変な誤認なのである。

加えて、今の自分が手にしている力を今一度見つめて、その力に潜む脅威を見つけ出すことである。

周知の事実であるが僕はチンパンジー並みに頭がよいため、2度目の走りゴケでようやく考えた。

自分はまだこの力を手にしてよい技量ではなかった。

だが一度手にしたこの力を、見す見す手放すわけにもいかない。

だが自分は愚か且つ未熟である。

結局それきりスピードを出すのはやめた。

今にして思えばこの時に膝の怪我をしておいたことは正解である。

この膝の怪我が無ければ、今頃は冬の箱根峠で死んでいた。

箱根の急坂と、連なるカーブはあれはかなりまずい。

箱根を上る際は皆さんには是非とも用心していただきたい。

また箱根に限らず、バイクに跨る際には以上のことを思い出していただきたい。

生きてバイクを降りようではないか。

バイクに乗る(買う)人と乗らない(買わない)人の特徴、バイクで得する人と損する人の違い

「バイクは馬鹿にしか乗れない」は本当

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