辞めていいのか分からない?仕事や学校「やめるか続けるか」問題の本当に正しい答えの見つけ方

「やめること」は人生で最も重要な選択の一つである。

もし今「やめるべきこと」を続けているのであれば、人生の限られた時間を大いに損失していることになる。

しかし「本当にやめるべきか否か」の問題はとても判断の難しい問題で、容易に決断を下すことは出来ず、常に慎重になるべき問題でもある。

ただそれに甘んじて、いつまでも決断を先延ばしにするわけにもいかない。

決断しないことは時に、間違った決断をするよりも罪深い。

現在悩み続けている「やめるか続けるか」の問題に終止符を打つべく、いくつかの重要な問いを自らに投げかけてみよう。

理由の「正当性」と「重要性」を問う

例えどのような状況に置かれようともどのような判断を迫られる場面でも、最も重要な判断材料は不変である。

その選択をする理由の「正当性」と「重要性」だ。

少し分かりやすく説明してみる。

「なぜ大学をやめるのか?」→「聴講は時間の無駄で、代わりにその時間を使って自分の課題に取り組みたいから」

これは僕が大学をやめた理由である。

まず、この理由は正当であるか?

もしこの理由が正当でない可能性があるとすれば、「自分の課題に取り組みたい」がただの言い訳で、本当の理由は「勉強したくない」だけだった、などがあたる。

理由は常に「自分にとって正当」でなければならない。

理由が正当でない場合、人はそれを「甘え」や「逃げ」と呼ぶ。

もし自分に正当性を問うてみて、これは正当でないと思うなら、少し考え直すべきである。

理由が正当だった人は、以下のステップに進める。

では次に、この理由の重要性はどうであるか。

「多少時間が無駄になってもいいから、とりあえず大学を卒業すること」と「今すぐに退学して自分の課題に取り組むこと」

この二つを天秤にかける。

その天秤がもし前者に傾くなら、その人にとっては卒業の方が重要、だからやめない方がいい。

反対に後者の方に傾くなら、卒業などよりも自分の課題の方が大切であるから、直ちに学生をやめるべきである。

以上のことを、会社を辞める場合にも同様に考える。

と言いたいところであるが、会社のこととなると少し事情が変わる場合がある。

人から強いられた正当性と自分の正当性

変わる事情とは、先ほど自分に問うた正当性の「出どころの問題」である。

率直に言えば、ブラックな会社などで多少の洗脳教育を受けていた場合、その会社を辞める理由の正当性が容易に否定されてしまうことがある、ということである。

それについては異なるタイトルの記事が1、2本書けるほど長くなるため別で書くことにするというか、既に過去に書いていた。

「今の仕事も頑張れないのに、辞めてもどうにもならないよ」みたいなことを言われたら

仕事辞めたいのに辞められない人に言いたい。「もうちょっと無責任になれ」

今まで他人から言われた「甘え」や「逃げ」などの言葉には、価値がないこと理解しなければならない。

判断するうえで大切なのは、あくまでも「自分にとっての正当性」である。

人の言葉は抜きにして自分でどのように感じられるか、という「個人的かつ率直な意見」に基づいてのみ、正しい答えが見つけられるのだ。

「やめる」は甘え?

日本のクソみたいな風潮、習慣のようなもので「とにかく何事からも逃げない、自分に甘えない」というものがある。

それは要するに「クソ」であるため、今週末の部屋掃除の際に是非とも一緒にゴミ出ししておいてもらいたい。

部屋も片付いて一石二鳥である。

何でもかんでもすぐに諦めるのは、良くない。

だが「絶対に辞めない」は、なお悪い。

そこに自分の信念や意思、希望がある限りは諦めずに続けるべきであるが、信念も意思も希望も無くただ「やめたい」と思いながらも強制されているなら、遠慮なくやめても一向に構わないのである。

会社はバックレてでも辞めていい。辞めなければならない。

会社を辞めたい人が仕事をバックレても全然OKな理由。バックレは労働者の権利なのであった

会社も学校もダメなら辞める。何を捨てるかで人生の半分が決まる

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