「腑抜けの大人と立派な大人」福福亭とクソジジイ

大人が嫌いだ。

バイクに乗り始めた時、周囲のバイク乗りは全員日本一周者だった。

その環境からか、自分もいつかは日本一周するのだろう等とぼんやり考えていた。

今年、夏の北海道に行く予定だった。

フェリーで大洗から苫小牧まで行けばよいと見積もっていたら、バイクが「ぜひ自走したい」と言うのでついでに日本一周することにした。

福福亭とクソジジイ

昔から大人というのが全体気に入らなかった。

大人は何かにつけて物事を諦めたような腑抜けばかりで、とかくに人の足を引っ張る。

しかし旅に出てみると、大人には、腑抜けの大人と立派な大人の二通りあると気付く。

日本一周の第一拠点に、会津若松の著名なライダーハウス、福福亭を選んだ。

随分遅くなって夜の福福亭に入ると、既に二人のジジイが酒を飲んでいた。

丸顔のじいちゃんはここの店主、まるで絵に書いたような強くて優しい男である。

俺も若い頃は世話になった、ここで賃を取らずに人を泊めるのも、恩返しだ、とじいちゃんは言った。

こういうジジイになりたいもんだ。

稀に見る尊敬できる大人というのは、どうしてか大概子供じみている。

子供じみてるから、おれみたいなクソガキ相手に同じ目線で物事を話して説教の一つも垂らさない。

福福亭のじいちゃんは大方笑って酒を飲んでいた。

店に入る時、表に一台のアメリカンが停まっているのを認めた。

こういうアメリカンに乗るのは得てしてクソジジイと相場が決まっている。

嫌な予想ほどよく当たるもんで、結局おれはジジイの介護者になった。

腑抜けの大人は好んで「世の中は甘くない」などと言うが、これは負け犬の遠吠えという。

世の中が甘いか甘くないか、そんなことは知らんが「世の中甘くない」とのたまう大人は甘ったれた根性無しばかりであるから情けないもんだ。

このジジイはおれの旅事情を根掘り葉掘り聞いてきた。

日本一周だがテントも寝袋も持たずに今しがた出てきたばかりという旨を話すと、ジジイは例のごとく世の中はそんなに甘くねえと喚いた。

この後にも大分話の腰を折って突っかかってくれたもんで、「アンタが何と言おうと俺がやると言ったらやるんだよ」と一言自慢の大声で遣り込めてやったら、以降穏やかになった。

しかも時々おれを褒めたりもした。

ジジイに褒められるのは案外嫌いじゃない。

見直せば、このジジイの言ったことにも理のひとつやふたつ有るだろう。

腑抜けには違いないがそれでハナから馬鹿にして話を聞かないようじゃ、我々をコケにして説教をくれる大人と同じだ。

それに腑抜けが悪いわけじゃない。

おれは大人と違って自分の好きなことには驚くべき粘りを御覧に入れるが、嫌いなことには毛ほどの忍耐も無い。

大人はいくら腑抜けても厭なことにはまず耐える。

これに就いておれは全く腑抜け以下だ。

そうかと言って、余計な説教をして子供に諦めることばかり覚えさせるのは金輪際やめていただきたい。

若い芽を摘まないでもらいたい。

手放しに「君ならやれる」など励ますのは無責任と考える者もいるが、余計なお世話を焼くものではない。

出来るか出来ないかは一切ご本人の責任である。

こんなことがあって再び大人には懲りた。

これが初日であるから、大人にはこの先いくらでも会うが、旅は止めない。

嫌なことはいくらでも起こるが、好きなことをやってるうちに起こるなら、蚊の食う程にも思わない。

ただこれ以降、大人が話し掛けてくるとおれは全霊を尽くして無関心を装うようになった。

後から大声で反論せねばならん状況よりいくらかマシだと考えたからである。

それでもまだ諦めずにおれに話しかける者がいるが、それは大抵只者でなく、後来尊敬の対象になることが多い。

加えて言明するが、旅の者に大人はおらず、また腑抜けもいない。

まして、例の蜂の字に連泊する者の中に腑抜けなどいるはずもないが、それはまた随分後の話である。

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