「無駄なことをする」のは、無駄なことじゃない。無駄を経験して、正しく無駄を知る。

無駄なことと無駄じゃないことを正しく判断するのは、とっても難しいことです。

「無駄」か「無駄ではない」かの判断は、最終的には主観です。

外野がいくら「それは無駄だ」とうるさくても、主観的に無駄でなければそれは「無駄ではない」ものだ。

だから言いたい。

知識や想像だけで「無駄だ!」と言わずに、実際に手に取って見よ!と。

実際に手に取って初めて分かる「無駄」「無駄ではない」

一見「無駄だ」と感じられることをあえてやってみることは、決して無駄なことではありません。

それを実際にやってみることで、それが真に無駄であるか否かが分かるからです。

以前は全くの無駄だと思っていたことが、実際に経験してみたら超有意義だった!

人生にはそういうことが頻繁に起こります。

僕には「欲しいものを買うのはお金の無駄だ!」と考えている時期がありました。

金の使わなさ過ぎは危険!元患者が語る、人生が停滞する「金使えない症候群」
金の使わなさ過ぎは危険!元患者が語る、人生が停滞する「金使えない症候群」

しかし最近は欲しいものを素直にバンバン買ってます。

マジで欲しいものは、持っていてとても幸せになれるから、これは無駄じゃない!と気付いたんですよ。

もっと早くに気付くべきでしたねこれは。(いろいろ買いそびれた)

反対に、全く無駄だと考えていたことをやってみたら、やっぱり無駄だった!ということもあるでしょう。

これもこれでいいんです。

ちょっと気になったので無駄と知りつつもタバコを吸ってみたけど、自分には合わず思いっきりむせて、それっきり吸ってない、みたいなことはよくある話です。

「無駄だと思っていたことが、本当に無駄なことだと理解できた」なら、それは収穫です。

ちなみに、僕が今までで無駄だと思っていたけど実際にやってみたら本当に無駄だったことは、納豆と牛乳を混ぜることです。

テレビで意外と美味しいよ!とかやってんのを観たから「いや~、これはさすがにキツイっしょ…」と思いつつやってみたら、本当にキツかったですね。

良い子のみんなは…絶対にやめようね!

さらに例外的なパターンで、「以前は確実に無駄だった」ことでも「今の自分には有意義」な場合もあります。

一度は経験して無駄を実感していたとしても、それが自分が死ぬまで変わらずに「自分にとって無駄なもの」であり続けてくれるかは分かりません。

そういう意味では、ハッキリと無駄だと分かっていることでさえ、今でも無駄かどうか再確認しておくことにも価値があります。

例外的とは言いましたが、これは意外にもめちゃくちゃよくあることだから、困ったものです。

昔は「学歴なんか必要ねえや!」とか思って大学を出なかったけど、社会人になって長いこと時間が経ってから「やっぱりあの時に大学出とけば良かった!」「あの資格取っておけば良かった!」つって、大人になってから改めて学校に通い始めたりする人が結構いますよね。

よくあるパターンです。

ただし納豆牛乳は未来永劫美味しくないから……絶対にやめようね!!!

無駄を省き過ぎないための無駄の楽しみ方。合理的に考え過ぎると人生自体が無駄になる!

スポンサーリンク







スポンサーリンク