人生は無駄の塊だ

自分は何のために生きているのだろう?とよく考える子供だった。

同じような悩みを持つ人は多いだろう。

僕はこの答えを既に知っている。

人間は何のためにも生きていない、これが答えだ。

これが分かってから、何も怖くなくなった。


多くの人間は「何のために生きるか」を考えるが、これは間違いである。

我々は何かのために生きているわけではない。

生き物は皆平等に、生きること自体が目的であり、それ以外の目的など無い。

我々は生きてさえいれば、それでよかったのだ。


仕事や趣味、またその他の要素を「生きる目的」と考えるのは愚かだ。

これらは単なる「手段」でしかない。

仕事は今を生きるための手段であり、趣味は子孫を残すための手段である。(高尚な趣味ほどお金がかかるので、より高尚な趣味を嗜んでいる方が明らかに甲斐性があることを示している。つまりパートナーを得やすい)

人生に目的は無く、あるのは手段ばかりだ。


つまり人生は「生まれてから死ぬまでの間の長い退屈」だ。

この退屈が余りにも長いので、我々は皆暇つぶしをせずにはいられない。

どのような方法で暇を潰すかは、各々の勝手である。

なお、これら暇潰しの手段のことを人々は「生き甲斐」と呼んでいる。

たしかに、空虚で退屈な人生という時間の中で、何かしら面白い暇つぶしの一つも無ければ生きる甲斐が無いというものだ。

「生き甲斐」という言葉は、実に核心を突いた表現と言える。


誰もが必ず死ぬので、どれほど頑張っても、どれほど築き上げても最後は全てが無駄になるようだ。

であるならば、人生の最重要課題は「せいぜい楽しむ」ことかもしれない。

また、我らがヒーロー、スティーブ・ジョブズが言うには

「ああ、良いことをした!と感じながら今夜眠りにつけることが肝心なのだ」

とのことである。

これは人生最後の夜でも同じことが言えるのではないか。

実際「誰かの役に立った」「誰かに感謝されている」という満足感は、他のことでは絶対に得られない幸福感を与えてくれる。

誰かの役に立ち、また、自分も楽しむ。(あるいはどちらか片方だけでも、十分かもしれない)

これが幸せな人生であると考えている。


ご覧の通り、人生は無駄の連続である。

ゆえに、我々は恐らく、好きにしていい。

いついかなる時でも我々には、自由に振る舞う権利がある。

会社や、あなたの上司や、あなたの親がそれを許してくれなかったとしても、それはあなたには関係ない。

他人の言うことを聞いても、聞かなくても、いずれにせよ無駄である。

ならば、好きにした方がいいに決まってる。

好きにしよう、自分の人生。

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