自分の「甘え」と「無知」に殺される時。甘ったれれば恥ずかしい思いをするばかり

日本一周を決めた時、誰にも何も言わなかった。

出発間際、親類の者に「行き先はどこか」と聞かれて黙るわけにもいかず、「バイクで北海道へ行く」とだけ教えた。

保守的な家系だから色々言われたが、父方のじいさんだけは違った。

このじいさんは元軍人で、「俺は18歳の時に一人で満州帝国へ行ったんだ。北海道くらい、なんでもない」と言った。

18歳の時、僕は高校生で、「自分はまだ高校生だ」と考えていた。

18歳の高校生に出来ることなどたかが知れている、と思っていたし、満州どころか北海道へすら一人では行けなかった。

飛行機の乗り方もろくに知らなかった。

今年、19歳で日本一周している者には二名ほど出会った。

一人は自転車で、もう一人は原付カブに乗っていた。

19歳の時、僕は大学生で、「自分はまだ大学生だ」と考えていた。

19歳で出来ることなどたかが知れていて、自分に出来るのは、夜行バスに乗って金沢の温泉へ出掛けることくらいだと思っていた。

明らかに甘ったれていた。

「まだ高校生」だの、「まだ大学生」だのと思い込んで、人生を真面目に考えていなかった。

考えようともしなかった。

「まだ」は大敵だ。

この2年ほどで、何もかも、「もう」と考えるようにした。

もう22歳だ、もう23歳だと。

そして今ではもう24歳だ。

24にもなって、まだ何もしていないので非常に恥ずかしい。

これは、甘ったれた考えで甘ったれた生活をしてきた報いである。

バイクで街を転々と旅するうち、居酒屋など夜の店で酒の入ったジジイにうざい説教を何度かされた。

こっちがガキだと思って偉そうなことばかり言うから、時々言い返す。

確かにこっちはガキで向こうは大人かもしれないが、知らないジジイに説教をされる筋合いは無い。

ふと親父の言葉を思い出した。

「お前は人の言うことを聞かなさ過ぎる。もっと大人の話を聞け。」

小学生、中学生、高校生の時しばしば「勉強は今のうちにした方がいい。若いうちが一番よく身に付くんだ」と常々説教をされたので「分かってる」と言い返していた。

いま文章を書くたびに「中学高校時分に、もっと本を読んでおけば良かった。もっと文学や文法を学べばよかった」と後悔してもし切れない。

それでも今、大人に何か言われると頭に来る。

現在の自分は、昔と違って本当に分かってるから、余計なお世話だ、と反論したい気持ちを抑えられない。

しかし後から冷静に、先日の知らないジジイの説教を紐解けば、確かにおっしゃる通りだと云うことがいくつも思い当たる。

酔っぱらっていたジジイは僕に「甘い」と言った。

その時は、何を抜かしやがるこのクソジジイがとは思ったが、確かに自分は明らかに甘えていた。

何もかも、後から気付いて恥ずかしい。

これは大人の話を聞かなかった罰だ。

甘えと無知には全く殺される。

多分今でも、自分が甘えていることを知らずにいる。

「自分は知らない」と云うことも知らないから、人の話を聞かない。

またもや、後ほど恥じることしか出来ない。

これにはいい加減、策を講じるべきだ。

「僕は何も知りませんから、ぜひ話を聞かせてください」などと大人びるつもりはないが、せめて「甘え」を処分しよう。

甘えない人の歩みは速い。

これを見習う。

2019年よりの抱負は、ここにあるように思う。

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