恥知らずで良かったとつくづく思う3つのこと。

僕は上の画像の通り、なかなかどうして恥知らずである。

だが恥知らずであることに引け目は無く、むしろ得することばかりで嬉しい。

以下に、恥知らずで良かったと思う大きな要因をいくつか書く。

  • 1.着たい服が着れる
  • 2.やりたいことがやれる
  • 3.自分なりに生きられる

1.着たい服が着れる

誰しも人の目を気にするものだ。

あまり派手な服や変わった服装は、悪目立ちすることが多い。

それに耐えて自分の着たいものを着れる人は少ない。

だが、着たいものを着れることは幸せなことだ。

恥知らずであれば恥をかかずに済むうえに、着たいものを着れる幸せも手に入る。

人からどう思われるかは分からないが、一先ず自分は満足である。

なお、着ている服のことについて人からいろいろ尋ねられることがあるが、それを気にしてはならない。

後ろ指を指されることもあるが、それも気にしてはならない。

2.やりたいことがやれる

恥知らずじゃないと無職で日本一周など出来ない。

日本一周者には本当に恥知らずが多いと感じる。

中には駅前で自分の撮った写真や自筆の書を売ったり、楽器を持ち歩いて演奏をしているような人たちがいる。

素晴らしい恥知らずである。

実際にそれで皆稼いでくる。

恥さえなければ、人間は大抵どんな事でも出来るようになる。

金を稼ぐのにも、恥さえ捨てれば、色んな方法があるということに気が付くはずだ。

3.自分なりに生きられる

人間は恥には弱い生き物である。

人間は「恥ずかしいからやりたくない」とか、「人に自慢できるからやる」とか、動機に「他人の目」が絡むことが非常に多い。

それにあたって、自分が本当にはどう感じるのか、ということが置き去りにされがちである。

本当にはこれがやりたい、こうなりたい、という自分が霞んでしまう。

恥知らずになるということは、良くも悪くも人の目が気にならなくなるということだ。

人の目が気にならないということは、自分自身に集中できるということである。

本当の自分の気持ちと向き合える。

自分に正直になって考えることができ、素直に行動できる。

恥知らずの、かけがえのない特権である。

恥知らずという言葉は、一般的には悪い意味を持ち、人をけなす言葉である。

だが恥知らずでいるということは、実際には素晴らしいことである。

なんでも言えるしなんでも出来る。

いつでも平気で生きていられる。

最後に、筆者が大変気に入っている、正岡子規の言葉を引用しておく。

「禅の『悟り』とは、いつでも平気で死ねることだと思っていたが、それは大変な間違いで、いつでも平気で生きていることだった。」

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