人は「気を遣う側」「気を遣われる側」のどちらか。人間関係の悩みを断ち切るために

「人間の悩みの全ての原因は人間関係だ」という言葉がある。

確かに、人間関係で悩まなくなってから、悩みが無くなった。

しかし人間関係で悩まない人はほぼいない。

僕も昔は悩んだ。

それらの悩みを解決した今、過去の自分へ向けてアドバイスを送るつもりで以下を書くことにする。

人は「気を遣う側」「気を遣われる側」の2種類

世の中には2種類の人間がいる。

周りの人に気を遣うタイプの人間と、周りの人から気を遣われるタイプの人間である。

悩んだりして、疲れる人は「気を遣う側」である。

これを読んでいるあなたは恐らく、十中八九、この「気を遣う側」の人間だろう。

気を遣う人は、大変良い人である。

心が優しい、思いやりがある。

そんな人が常に悩み、対人関係に疲れねばならない。

これを理不尽と考える者もあるが、まずはこの事実を受け止めねばならない。

良い人は、損なのである。

「気を遣う人」と「気を遣われる人」は、分かり合えない

気を遣う人と、気を遣われる人は、分かり合えない。

これは、お互いの認識の問題である。

あなたは、気を遣われる人を「人に気を遣わせるばかりで、全く気を遣ってくれない人」だと考えている。

しかし気を遣われる人は、あなたのような気遣いの出来る人を「むやみに丁寧な人」だと見ている。

あなたは気を遣ったつもりだが、相手からすればそれは「不気味」なのである。

なぜそんなに丁重なのか、腰が低いのか、遠慮がちなのか、不思議である。

彼らには、人に気を遣わせているという自覚がない。

従って、彼らには気を遣うだけ無駄、ということが少なくない。

気を遣う人にとって、無愛想な人間は最大の敵だ。

これの相手をする時が一番疲れる。

しかしこれも上と同様である。

無愛想な人は、自分が気を遣われていることを知らない。

であるから、これに気を遣うのは実に気力の無駄と言える。

僕は比較的無愛想な人間なので、無愛想な者の気持ちをここに代弁する。

対等な関係の者に気を遣われるのは、あまり気分の良いものではない。

お世辞を言ったつもりだろうが、裏を返せば、嘘をついているだけだ。

嘘をついてまでご機嫌伺いしてくる人たちは気味が悪い。

無愛想な連中が良い人を遠ざけたりすることがあるのは、こういう理由である。

非情な現実であるが、良い人たちは骨折り損のくたびれ儲けばかりしていることがお分かりいただけただろう。

これらへの対処法は、他でもない、「遠慮しない・気を遣わない」ことである。

我々は決して、気を遣ってもらいたいなどと望んではいない。

普通に話がしたいだけだ。

それなのに良い人は、物をはっきり言わずに話を遠回しにするばかりだ。

婉曲的では伝わらない。

言いたいことははっきり言うべきである。

世辞も要らない。

正直は最良の策だと心得るべきだ。

既に知り合っている人に対して態度を変えるのは難しいだろう。

しかし、次に初対面の人間と話す機会がある際には、是非とも試していただきたい。

事実をはっきり申し上げたくらいで怒るような人間は、世の中にそうはいないものであるから、安心してよい。

気を遣ったらダメ。無愛想な人の対処法

良い人を嫌いな人もいる。良い人は骨折り損のくたびれ儲けだ。

言いたいことを我慢するのは身体に悪い。良い人をやめてハッキリと物申す人間になる

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