無愛想な奴ってなんなの?と思ったので、理解するために自分が無愛想になってみた

とっても愛想の良い生き方をしてきた。

20年以上も。

愛想良くしていると相手に気を遣わせずに済むが、その分ストレスが溜まる。

それでも愛想よく振舞うのはとても気に入っていた。

何だかんだで楽だし、自分らしいから。

しかし時々いる不思議なくらい無愛想な奴。

あれはなんであれ程までに無愛想なのか?

愛想の良い僕には全く分からないものだった。

無愛想って何か得するのか?

もしかしたら得があるのかもしれない。

いや、そうに違いない。

でなければ連中の無愛想なのには説明がつかない!

早速やってみることにした。

新しい環境で、変わってみる

人間が変わるのは難しい。

特に、周囲の環境が変わらないのに自分だけが変わる、ってのは無理がある。

いきなり態度急変させたら、みんなビックリしちゃうだろう。

というわけで、早速新しい環境を用意した。

誰一人知り合いのいない新しい場所。

ここでなら、やりたい放題出来ます。

やったね。

人間は常に第一印象が大切です。

人間が第一印象で他人の大部分を決めつけてしまう生き物だということは、既にあなたも知っての通りだ。

だから一発目はビシッと決めてやろう。

初っ端のご挨拶はいつもならにこやかにやるけど、今回ばかりは我慢しなければならない。

無表情のまま控えめに挨拶だけして、余計な会話は一切しない。

必要最低限のやり取りで済ませます。

最初からこの調子でやってみると、当然だが話しかけづらい印象を持たれるようだ。

初めは距離を取っておいて、皆恐る恐る近付いてきます。

無愛想な人は、努力しなくても関係が構築できるっぽい

お互いに愛想の無いままでは一向に距離が縮まらないから、最終的にはどちらか片方が折れる必要があるということを、人間は無意識に理解している。

愛想の無いタイプの人間同士だと上手くいかないかと思いきや、そのうちに片方が折れて、態度が軟化する。

鉄仮面を着け続けていられるのは、どちらか片方だけなのだ。

時間が経てばどんなに無愛想な奴でもだんだんと打ち解けられることが分かった。

そして、その「打ち解け」というのは専ら、周りのみんなの努力によるものだ。

無愛想でいれば周りの人間が右往左往してくれて、自分は一切努力せずして打ち解けてしまうことが出来るということだった。

なるほどこれは楽ちんだ。

自分は全く気を遣わなくていいし、関係の調整は周りの人たちがやってくれる!という、なんとも子供っぽい振る舞いかもしれないが、すごく便利であるとも言える。

ところで、これまで気を遣う側の人間として生きてきたので、正直なところ途中から「ああ、気を遣わせてしまっているな…」という申し訳ない気持ちでいっぱいになってきた。

いつもと違う振る舞いをするのは若干のストレスだ。

まあでも変化に苦痛はつきものだから、仕方ないね。

思ったのだが、生まれてから常に無愛想で生きてきた人にとっては「みんなが自分に気を遣ってくれるのは当たり前」という信頼とでも言うか、安心感みたいなのがあるんじゃなかろうか。

言い方を変えれば「自己中心的」ってことだけども。

いずれにせよ、「この人ならこちらから気を遣う必要は無さそうだ。向こうが自分に気を遣ってくれるだろう」という信頼や確信が無い以上は、無愛想なまま振舞うことはどう考えても不可能かと思われる。

その確信(期待)を裏切って強硬な態度で出たら、どんなに無愛想な奴でもビックリして態度が軟化する可能性が高い、と報告しておこう。

分かったことまとめ

・無愛想は、楽。

人間関係にエネルギーを使わずに済みます。

これはスゴいことです。

優しい人とか愛想の良い人は普段からたくさん気を遣うから、人付き合いは大変だし疲れることも多い。

しかし無愛想な人は、愛想笑いのひとつもしない。

人に対して気を遣わない。

(愛想笑いが本当に無駄かは分からないけど)無駄なエネルギーを一切使わない。

無駄に体力・気力を消費せずに済む。

みんな気を遣ってくれるので、人間関係に悩むこともなさそう。

人は、「気を遣う」「気を遣われる」のどちらか。気を遣われる側になると疲れない。

・本音を言いやすい。

優しい人は、人に本音を言えない。

でも無愛想な人はどんなことでも言える。(言おうと思えば)

「こいつは遠慮の無い奴だから仕方ないな」と思ってもらえるからだ。

いくら本音を言っても、みんな引かずに受け止めてくれます。

自分の意見をハッキリと言いやすくなった。

これも良いところかもしれない。

・人の本音を聞けなくなる。

逆に、人の本音を聞けなくなります。

今までは割と本音を言われる、打ち明けられる側だった。

しかし無愛想にしてみると、途端に人の話が聞けなくなる。

みんな、無愛想な人の前では話の内容を選ぶからだ。

まあ要するに、機嫌を取られているってことだ。

これは自分にとっては大いに参考になる結果だったが、他の人の参考になるかどうかは甚だ疑問だ。

今回のは実際やりすぎで、とことん無愛想で貫き通したからちょっと辛かった。

普通に仲良くしたかった。

一応の結論だけは出しておこう。

気を遣い過ぎるのも遣わなさ過ぎるのも良くない。

良好な人間関係のためにはお互いに適度な遠慮や踏み込みが必要だ。

その最良の加減を知るために、相手を思って気を遣うことと、気を遣わずに勇気を持って踏み込んでみることを、繰り返し試みるのがよい。

変化は人間にとって辛く苦しいことだが、恐れずに受け入れることが出来れば上々の報酬が期待できる。

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