言いたいことを我慢するのは身体に悪い。良い人をやめてハッキリと物申す人間になる

良い人は損だ。

僕は以前とても良い人だったのでよく気を遣ったし、お世辞を言ったり、人の話によく耳を傾けたりした。

しかし、アホくさいのでもうやめた。

それはまあまあストレスの溜まる人生である。

言いたいことも言えずに溜め込んだ挙句にストレスで早死にする。

好きで我慢してるんだから、それで早死にするなら別にいいと昔は考えていた。

お人好しが過ぎる。

言いたい放題している今の自分からすれば、それはあまりに馬鹿げた話だ。

ハッキリ物申しても、人間関係に問題は起こらない

人間はよく出来ている。

僕が何でもかんでも遠慮せずにハッキリと物を言ったり、多少のワガママを言ったとしよう。

だがそれは全く問題にはならない。

なぜなら、話し相手がそれに応じて、距離感を調整してくれるからだ。

お互いに遠慮して距離感を調整し合っているうちは、いつまでも距離が定まらない。

しかし一方が僕のように無遠慮であれば、もう片方がそれに付き合うという形でこれが案外上手くいく。

これは「ワガママな弟」と「面倒見の良い兄」のような兄弟の関係に似ている。

世の中の人間関係のほとんどは、これによって成り立っている。

人間にはこのように優秀な距離感調節の機能がある。

この機能を利用しない手は無い。

遠慮ばかりしていてはダメだ。

力一杯に相手を振り回すべきである。

言いたい放題して、あとは人任せにしておく。

時々フォローを入れることが出来れば、なお良い。

たとえ相手の欠点を露骨に指摘したとして、嘘をつくよりは信頼を得られる。

何でもかんでも正直に言える方が、より多くの人と信頼関係を築ける可能性が高い。

このような振る舞いは、最初は難しく感じるが、慣れれば後が楽だ。

図々しい発言は、出来れば初対面の早い段階から言うのが好ましい。

「初対面だから少し気を遣って…」などと考えるのは全く無価値で、初めからハッキリと物事を言わねば元も子もない。

人の印象は初対面の時にほぼ全てが決まる。

その時に「この人は何でもかんでもハッキリ言う人だ」と云う印象を与えることが最も重要なのである。

既に見知っている人に対して突然、きっぱり物申すのは、急に人が変わったと少し変に思われる。

この方法は、目上の人間に対しては殊に効果的である。

稀に、目上の人とタメ口で話すような輩がいる。

僕が正にそれで、年上の者にも敬語など一切使わずに話すことが多い。

生意気だと思われるかもしれないが、初めからその通りの振る舞いをしていれば、まあそんな奴なんだろうと大抵許容される。

失礼な奴と見られることもあるだろうが、遠慮して正直に物が言えなくなるよりは、よっぽどマシだ。

良い人や優しい人は、誠に損な生き物だ。

要らぬ心配ばかりして暮らしている。

他人と向き合うと遠慮してまともに口が利けない。

口を開けば白々しい世辞ばかり言う。

ご機嫌伺いの愛想笑いは引きつっていて気味が悪い。

距離を縮めるのが苦手で、人と仲良くなれない。

本当に不憫で気の毒な生き物だと思う。

まあ、これは昔の僕自身のことであるが。

僕がこうも変わってしまったのには無愛想な奴ってなんなの?と思ったので、理解するために自分が無愛想になってみたというきっかけがある。

変わりたければ、覚悟を決めて実行せねばならないということが分かるはずだ。

無理をしてでも、ハッキリ言うように努めるしかない。

人間は容易には変われないから、それ相応の覚悟と行動が要る、ということである。

人の嫌がることを言う必要はない。

思ったことを率直に言えばいいだけだ。

愛想笑いは絶対にしてはならぬ。

世辞は死んでも言うな。

お互い遠慮無く、ある程度は言いたいことを言える関係でありたいものだと思う。

どんな人とでも。

良い人を嫌いな人もいる。良い人は骨折り損のくたびれ儲けだ。

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