良い人を嫌いな人もいる。良い人は骨折り損のくたびれ儲けだ。

僕はとても良い人である。(大嘘)

良い人というのは全体、損である。

世界は良い人に対して恩を仇で返す。

良い人たちには是非とも、お人好しをやめてもらいたい。

良い人を嫌う人がいる。

良い人は大抵、良い人ぶっている。

良い人ぶるのは悪いことでない。

むしろ良いことである。

だがそれを嫌う人がいる。

良い人はホワイトライを好んで言うが、それを嫌う人がいる。

良い人の言動を「ウソ」だと認識する人がいて、良い人を「嘘つき」だと認識する人がいることを理解しなければならない。

良い人は、良かれと思ってホワイトライや世辞を言う。

もしくは本当のことを言わなかったりする。

だが普段からはっきりと物を言う人間は、大抵それらが嫌いである。

人間は皆違うので分かり合えないのは致し方ない。

それにしても、はっきりと物を言う人間は、自分と同様にはっきりと物を言う人間を好む。

彼らにとって「良い人」は、なんとなくいけ好かないというか気に食わないのである。

良い人は常に他人の機嫌を取るように喋り、表情を窺うようである。

やめた方がいい。

過ぎたるは猶及ばざるが如し。

気の遣い過ぎはかえって迷惑である。

良い人は不気味な存在なのだ。

何を考えているか分からない人種だ。

いつも笑顔でいるが、本性が分からない。

それは気味が悪く、そんな人から機嫌を取られるのも無論好まない。

それで良い人をウザがって遠ざける人がいる。

良い人は損である。

人生のほとんどは人付き合いである。

良い人は人付き合いで損するため、総じて人生を損する。

ある程度図々しく物を言える人間の方が、むしろ正直や率直に通ずる良い印象がある。

あとは言い方次第である。

嫌味っぽく物を言えば誰しも嫌われるが、純粋な心ではっきりと物を言えるならそれは大変好ましい。

良い人は常に遠慮深く、ずかずかと踏み込むようなことを言わない。

気を遣えるのはよいことである。

だが無闇な遠慮は人との間に壁を作る。

遠慮すべきタイミングと、そうでないタイミングを見極めねばならない。

踏み込むべき時に遠慮すると、人を遠ざけることになる。

相手がボケた時が、その最も良い例である。

良い人は大抵、ツッコミが苦手である。

ボケる人はいつでもキツめのツッコミを期待しているのだ。

そんな時には失敬して、遠慮なくぶん殴らねばなるまい。

多少の図々しい物言いをしなければ、互いにいつまでも心が開けない。

良い人でいることによって、人と仲良くなるチャンスを逃した回数は数えきれない。

良い人は、多少の図々しさを学ぶべきである。

根の良い人が正しい図々しさを学べれば、人付き合いにおいて最強である。

無愛想な奴ってなんなの?と思ったので、理解するために自分が無愛想になってみた

気を遣ったらダメ。無愛想な人の対処法

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