自分の自由さを知らない奴は、無限に不自由だ。自由になりたければ勇気を

自由になりたかったら、目の前の自由に気付くしかない。

自由になりたいと言う奴がいる。

しかし自由を求める日本人など、憐れを通り越して、見ていて滑稽だ。

そりゃまるで、右手にスマホを持ったまま「私のスマホどこだっけ」と探し回る様子に似ている。

旅の途中、ある時「自由になりたくて旅をしているのか?」と聞かれたことがある。

そんなバカな話はない。

自由だから旅をしてるに決まってる。

僕はいま自由だし、生まれてこのかたずっと自由だったのだ。

人生の自由に気付いたのは中学生のとき。

例え犯罪行為でも、それを犯すか犯さないかは個人の自由だと悟った。

犯せば無論、罰せられ、信用も失うが、それさえも多分、自由なのだ。(犯罪行為を選択させないための法と罰ではあるが。)

自分が持っている自由に気付いたのは、大学生のとき。

恥を捨て、勇気を手に取れば、自分はどんなことでも経験出来ると知った。

それで思い切って、駅前で、得意の手品を披露した。

幹線道路へ出て親指を突き立てて、ヒッチハイクで海を見に行ったりもした。

そのおかげで、人間は日頃、多くの行為を「恥ずかしい」という感情から慎んでいたのだと理解できた。

その後は大学をやめてやった。

今では日本一周者という名の浮浪者だ。

しかし恥ずかしくはない。

すっかり厚顔無恥になってしまったから。

日本は全く自由の国だ。

ほぼ平等に、先天的に、誰にでも自由が与えられている。

だが自由の行使のためには、まず目の前の自由に気付かないと。

そして上述の通り、恥の代わりに勇気を抱く必要がある。

ある独裁者が「臆病者は自由になれない」と言った。

独裁者が良いか悪いかは別として、これは良い言葉だ。

自由になるってのは大体、自分の好きにするってことだ。

やりたいことがあったら、全てを投げうって、何でも好きなようにやるのが自由だ。

しかし人間は簡単に変われない。

人は現状維持が大好きで、変化を恐れる。

いま抱えている膨大なやるべき事を前に、それらを投げ捨ててまで、好きなようにやれる奴はそうはいない。

多くの人は現状に不満でも、変化するよりはマシだと考える。

毎日の仕事が憂鬱だとしても、会社を辞めて旅に出るよりは、今日も出勤した方が「怖くない」と。

臆病者は、自由を自ら放棄している。

仕事を辞めてまで日本一周に出ている者達は、誇りだと思う。

(僕は会社に入ることもせず旅しているクズだから例外だが)

日本では会社を辞めるだけでも、人生のレールを外れているとされる。

そんな中で退職して旅に出るのは怖かったはずだ。

しかし彼らはそれに打ち勝ってきた。

そうして自由を行使してきた。

旅に出れば必ず自由になれるとは限らない。

僕は大変不自由な旅人を知っている。

彼は去年の夏、死んでしまった。

彼は自由を知らない旅人だった。

一方で、本当に自由だったとある旅の者は、今では地元に帰って会社を立ち上げている。

会社を立ち上げるのは怖いはずだ。

失敗が目の前にチラつく。

だが彼は恐怖に打ち勝って、会社を作った。

一度作ってしまえば、あとは必死にやるだけだ。

自由のためには、最初の大きな勇気が肝心だ。

全ての日本人には、いま、「好きなようにやる権利」が与えられている。

恥を捨てて勇気を振り絞れば、好きなことをやる権利がある、時間もある、金もある(場合によっては金融機関から融資を受ければよい)、そして多分、頭もあるはずだ。

必要なのは、ただ現状を変える勇気だけだ。

未来の自分が、今の自分とは違う道を進んでいるべきだと思うなら、さあ、今すぐ自由に気付いて、気勇を振り絞るのだ。

これはいつか必ず、やらねばならないことなのだと、自分に言い聞かせよう。

いま、やってしまおう。

いまやってしまえば、一年後、自分は笑っている。

そう考えると、何事も、断行せずにはいられない。

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