夢を叶えたいなら、大人の言うことは間違いだらけである。

ガキの頃には自分の考えは無いから、子供は大人の言うことを聞くしかない。

そしてほとんどの人間は大人の言うことを信じ続けて育つ。

大人の言うことが全て正しいのなら、一生それを信じて生きてゆけばよい。

だが現実では、大人の言うことの大半は間違いである。

大人は間違っている。

大人は常に子供を自分の言いなりだと考える。

幼い時にはその通りである。

だが子供をいつまでも言いなりだと勘違いする大人が多過ぎる。

いつまでも否定され続け、大人の身勝手な価値観を押し付けられ、それで苦しむ子供は多い。

時に大人は子供の夢を無残に否定し、諦めさせる。

「あなたには出来ない」と。

大人は実に腑抜けている。

良い大人であればあるほど、より酷い腑抜けだ。

腑抜けどもは挑戦することを知らない。

如何に安全地帯へ転がり込むかを常に最重要の課題としている。

そんな連中には夢も希望も自由さえもない。

臆病者は自由を得られないものだ。

大人は当然間違ったことを言う。

もしくは大人にとっては正しいが、子供にとっては間違っていることを言う。

いつまでも大人の言いなりでいれば、子供はいつか大人のせいで間違いを犯すことになる。

自分で決めたことで失敗するなら全く自分で責任を取るばかりだが、大人の言うとおりに進んで失敗しても大人は責任を取ってはくれない。

人生の責任は自分でしかとれないので、ただ自分の道を行くばかりである。

誰の言うことでも信じるのではなく、「自分は誰の言葉を信じればよいか」を考えるべきである。

サッカーの選手になりたい人が、バスケのコーチに教えを乞うはずがない。

サッカーを希望する人はバスケのコーチに「ボールを手で持て」と指示されてしまう。

しかしそれと同じことが現実ではよく起こる。

会社員として勤めている大人が、フリーランスを目指す子供を否定、制止する。

この二人はそもそも常識の違う二つの世界を見ている。

意見の合うはずがない。

この二人はお互いを全く分かり合えず互いに批判し続けることになるが、かと言ってどちらかが間違っているわけもなく、それぞれの世界でそれぞれが正しいだけである。

世の中で「この人の言うことが絶対に正しい」ということはまずあり得ない。

どれほど尊敬できる人物とでも、意見の食い違うことが必ずある。

別々の人間だから仕方がない。

しかしちょっと前まで「大人の言うことが必ず正しい」という時代があった。

当時は親や先生が今よりも尊敬の対象だったことは間違いない。

そして今、親や先生に対しての尊敬が足りていないのも事実かもしれない。

それにしても「親が正しい」とは時代遅れも甚だしい。

大人の言うことがたとい間違っていたとしても子供として受け入れなければならないのだとしたら、それは尊敬ではなく崇拝である。

崇拝は「自分」を抹消する。

否定され続け「自分」が抹消された人間はついには「しもべ」となってしまう。

そうして成り立つ社会がこの国にある。

これを壊せるのは、夢を持つ若き力だけだ。

夢を持っていれば、腑抜けの大人たちから大いに間違った意見を聞かされることになる。

だがそれは気にしなくてよい。

ならその通りにするからあんたが責任を取ってくれるか、と問い詰めておけばよい。

信じられるのは、自分の考え、自分の選択である。

自分の決めた道で失敗し、成功しよう。

スポンサーリンク







スポンサーリンク